もし来年が来なかったら?

ちょっと想像してみてください
年に一度の子供の発表会の前日に
あなたの配偶者が熱を出しました
あなたが言うならどちら?

「明日は無理せずに休養」

「何とかしていく方法を考えよう」

これだけの情報だと
多くの人は「無理せず」を選ぶ
なぜなら
来年があると思っているから

来年があるのなら
その場面での判断としては悪くない
今回はやめておけとなる

でも
来年が来ない人の場合は?

この話は終末期医療の現場で
頻繁に起こっている会話だ

その場面での判断と
その後の結果まで考えた判断
どちらも重要だ

どちらも重要であるにもかかわらず
多くの人は
その場面での判断しかしない

判断の結果が何を引き起こすか
ということまで考えない

これが安易なアドバイスの本質だ
だから
安易なアドバイスは全て無視していい

来年があると思っている人が発する
来年がある前提でのアドバイスは
来年が無い人の役には立たない

少なくとも来年が無いという前提の
アドバイスでなければ役に立たない

前提条件次第で正解は不正解になる
逆も起こりうる
普段なら不正解だが今回は正解

たとえば
元気な人であっても
子供の卒業記念発表会なら?

社運を賭けたプレゼンの前日なら?

目の前の状況だけで
安易な判断をしてはいけない
その後にどうなるのかで判断しよう

もし今
自分が変わりたいと思っているのに
一歩踏み出せないなら
永遠に生きられるという
幻想の世界にいるのではないだろうか

来年が来るなんて誰にもわからない
もし来なかったとしたら
結局変われなかったなと思い返すのと
あの時に変われて良かったと思うのは
どちらがより豊かな人生だろうか?

 

何とかして踏み出そう!

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